すぎもりくんだよ

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織姫も彦星も関係なかった日本の七夕!

実は、七夕は「先祖祭り」であった  七夕の季節は、七夕盆・盆はじめ・ナヌカボン・盆道作り・墓掃除という盆行事の一つでもある 祖先を迎える前に川で禊。盆を清らかな日にしようとした。 笹流し・虫除け・七夕送り(悪い物を流す)=祓い=疫病退散=祇園祭天王祭=青森のねぶた(現8/1-7)もねぶた(り)流し(ねむけ・農業の妨げを追い払う)、秋田の竿灯も、もとは願い事を書いた短冊を笹竹につるして、町を練り歩き、それを川に流していた。松本の七夕人形は、着物を着せた人形を七夕の日に軒先につるし、厄除を祈った。 短冊に願いを書く起源は中国。星に裁縫や書道上達を祈る乞巧奠(きっこうでん)という祭り。七夕に、酒、料理、果物、瓜を供え、金銀真鍮の針を用意し、月に向って五色の糸を針に通す。天の川に白や五色の光が見えれば願いが叶い、蜘蛛が瓜の上に巣をはれば裁縫が上達するといわれた。 さらに古くは、梶の葉(和紙の原料にも)に詩歌などを書いて供える風習もあった 「天の川 戸渡る舟の梶の葉に 思ふ事をも書きつくるかな」後拾遺集 江戸時代、寺小屋に通う子供たちが手習いの上達を望んだという。 昔は、七夕の日に七度水を浴び、七度飯を食うものだと子どもたちがその風習を守ろうとした この日に井戸替えといって井戸の掃除をする風習もある。

夏の風物詩の神社境内でみる茅の輪の本当の意味は?

実は、夏越の大祓のあの大きな茅の輪は「腰にまくもの」だった 『風土記逸文』 備後風土記に曰く、「疫隅国社(えのくまくのくにのやしろ)、昔北の海に坐しし武塔神、南の海の女子(むすめ)をよばひに出で坐ししに、日暮れたり、彼所(かしこ)に蘇民将来・巨旦将来という二人すみき。兄の蘇民将来はいと貧しく、弟の巨旦将来は、にぎはひて、屋倉一百ありき。ここに武塔神、宿りを借り給ふに、おしみて借しまつらず、兄の蘇民将来は借し奉る。即ち粟柄を以て座とし、粟飯等を以て饗(みあへ)奉る。既に畢へて出で坐しき。後年経て、八柱の子を率いて還り来て、詔りたまはく、我、将来の為に報いせむ。汝が子孫、其の家に在りやと問はし給ひければ、蘇民将来答へ申さく、己女子とこの婦(め)と侍ふと申す。即ち詔り給はく、茅の輪を以て腰の上に著けしめよと詔り給ふ随に、著けしめき。その夜に、蘇民と女人二人とを置きて、ことごとに許呂志保呂保志てき。その時に詔りたまはく、吾は速須佐能雄能神なり。後世に疫気(えやみ)あらば、汝蘇民将来の子孫(うみのこ)と云ひて、茅の輪を以て腰の上に著けよ。詔の随に著けしめば、即ち家なる人は免れなむと詔り給ひき。 茅の輪を腰にまいたことにより災厄を免れたという故事 夏越=夏を越し、残り半分を無事過ごせることを願った言葉。または疫病神を和ませ災厄を鎮める意味もある 茅=根は漢方薬、利尿、止血作用 「水無月の夏越の祓いする人は千年の命のぶといふなり」 大祓は1300年前から行われている 世の中、いろんなウイルスが蔓延っている。「大祓行事」によって救われるかもしれない。 因みに、この茅が秋にはススキとなり、稲の実りに見立てられる。

楽しい鯉のぼり、男の子の行事ではないの?

実は、端午の節供は、男の子の日ではなく「女性の日」だった。 田植えを行うために早乙女の女性が忌籠る日。軒先に菖蒲をつるし、邪気を祓い、心身を清め、田の神を迎えて田植えをする前の行事。 菖蒲は、中国に起源。よもぎを門にかけ、菖蒲酒を飲んで邪気を祓う。 菖蒲=血行促進、鎮痛作用の薬草、よもぎも薬草 清少納言の枕草子に「節は五月にしく月はなし 菖蒲蓬などのかをりあひたるいみじうをかし」(節供は5月にまさる月はない。菖蒲や蓬などが香りあって、とても情緒がある)と、宮中も庶民の家も競って菖蒲などを屋根に葺いて、若い女性などは菖蒲を髪飾りや腰に刺し薬玉をぶらさげているなどをしていた。 「くす玉を右のかたにうちかけて、左のわきへたれて、この緒をわけて腰にゆひて各拝舞する也」(花鳥余情) 武家社会になると、菖蒲が尚武とからめて、男子の成長と武運長久を祈る日となる。 鯉のぼりは江戸時代から。鯉は立身出世の象徴。竜門を泳ぎ登った鯉は龍とかす 鯉のぼりの矢車と籠玉=魔除けと神への加護への願いが込められている 吹き流し=雲や滝を意味。木火土金水の青赤黄白黒の5色を使用して邪気を祓う その他「菖蒲の占」端午の女の子の遊び「思うこと軒のあやめにこと問わん かなわばかけよささがにの糸」と唱えて願をかけ、蜘蛛が菖蒲の上に巣をかけると思いが叶うそうだ。 また、菖蒲を短く切り、薄い紙で包んで枕として5/5に寝たら、邪気を祓うといわれる。