杉森神社の由緒

杉森神社の御由緒

当神社の創立年月日不詳ですが、『日本三代実録』によりますと度重なる自然災害を鎮めるため、第56代清和天皇(せいわてんのう)が各地の神様に神階を授けられました。その貞観9年(867年)10月13日の条に、正六位上「榲樌神」(すぎもりのかみ)に従五位下を授けられたのが当神社のことと伝へられてゐます。

御祭神は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)と須佐之男命(すさのをのみこと)による誓約(うけひ・真心を表すこと)によりお生まれになつた五男三女の神様です。

主祭神として天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのおしほみみみこと)、天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活津日子根命(いくつひこねのみこと)、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)、多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)、狭依毘賣命(さよりびめのみこと)、多岐都比賣(たぎつひめの)命(みこと)をお祀りし、

相殿神としてに品陀和気命(ほんだわけのみこと)(第15代応神天皇・八幡様)、須佐之男命(すさのをのみこと)(天照大御神の弟神)、厳島大神(いつくしまのおほかみ)をお祀りしてゐます(「神社明細書」による)。

八幡様は、もと入野村の二ツ宮に祀られてゐましたが、祭礼の時に神輿が洪水で川に落ち、この里に流れ着き、岸に近い石上(推測ですが、鳥居前の延長上、線路の向側の田の中に大きな石があります。電車の中からよく見えます。)に留まつてゐたさうです。住民により古筵(むしろ)を折りかけ当社の相殿として祀られ、「筵屋八幡宮」と崇められました。

須佐之男命は、風呂本の八坂神社に祀られてゐましたが、明治四年十月に当社に合祀されました。

『芸藩通志』(文政8年・1825年)には当社は「八幡厳島神社」と記されてゐます。

御本殿は、一間社入母屋(いりもや)造りで天保9年(1838年)に再建された建物です。本殿の屋根の反りよりみて、以前は檜皮葺ではなかったかと推測します。

境内は、山林を含め約3000坪。杉森といふ称名の通り杉と檜の約500本に囲まれた、癒しのお社です。

当社所有地である深山峡(頼山陽が「安芸の耶馬溪」と称へてゐます)の夫婦岩と境内の夫婦杉は、「清く、正しく、睦まじく、お互ひを助け合ひ、伸ばし合ひ、育て合ふ」神様の御心の象徴であります。