ブログ(杉森神社の物語)

実は、亥の子は遊びではなく「神事」である

 旧暦の10月の亥の日の晩(亥の刻・午後9時~11時)に、亥の子と称して新藁を束ねて太くまきつけたものを子供たちが地面に打ち付ける行事で亥の子節供とも言われていた。この日は新米で亥の子餅や団子をつくり、田の神の供えたり、家族で食べたり、近所の子供たちにあげていた。

 瀬戸内海地方では、藁ではなく円い石に多くの環をつけたものを亥の子石といって地固めを行っていた。

 地面をたたくのは土地の邪霊を鎮め、土地の精霊(土地の力)を強くするため(帰り支度の田の神に次の年の豊作も祈る?)である。関東では十日夜と名付け同じく藁を束ねた藁鉄砲で地面をたたく

 広島安芸郡の亥の子歌「亥の子亥の子亥の子餅ついて 祝わんものは鬼産め蛇産め角のはえた子産め、やっさの尻を煮え湯で焚いて また湯で焚いて これのこれの○○さんに嫁(婿)とって繁盛せえ繁盛せえ」(現在ではちょっと使えない言葉がありますね)

 因みに、亥の子の日は「茶人の正月」といって、茶家では風炉から炉に切り替える「炉開き」と初夏に摘んで寝かせていた新茶の「口切り」が行われる。一般家庭でもこの日に囲炉裏や炬燵を開いていた。猪は火を防ぐ動物と考えられていたらしく、この日に火をいれると火災にあわないらしい。

実は、稲作そのものが「神事」である

 伊勢神宮では、収穫されたお米を供えて感謝する神嘗祭が行われる

 その稲作には豊作を祈る祈年祭、田仕事の鍬の木を伐採するための山口祭、種もみをまく神田下種祭り、御田植え、風雨除けの風日祈祭、稲の穂を抜く抜穂祭と丁重にお祭りをして稲作り等を行っている。日本の原風景。神話で伝えられたままを行っている。

 日本人は食べ物を神々からの恵みと捉え、神々のご加護があってはじめて豊作がもたらされたと考えている

 宮中では祈年祭、新嘗祭、全国の神社でも祈年祭、新嘗祭が例祭と同じ重いお祭りとして行われている。

 「嘗」とは、新穀を食べる祭りをいう

 因みに「食べる」は食ぶー賜はる・給はるという言葉からきたもの

実は、十五夜の月見は、「農作物収穫を」感謝することだった

 旧暦8/15 古代中国では中秋とよび、名月を観賞する風習があった。

 奈良・平安時代貴族たちが満月を眺めながら宴を催すようになり雅な行事となった。

 しかし、日本には満月を神聖視する信仰がある、月の満ち欠けのサイクルを農作業の目安にしてきた。

 旧暦8/15は、稲刈り前の時期でもあるし、里芋の収穫期ともなるので、芋名月ともいう。

 薄(茅)は稲穂の代わりに供え、団子は丸い月のように満たすという豊作の祈りが込められている。

 御月さんに供えた団子類を子供たちが盗む風習があるが、これは神様が食べたものと解釈され、よろこばれていた。

 一か月後の旧暦9/13を十三夜といい、日本独自の風習らしい。豆名月、後の月ともいう。九州の一部では夜祭を女性中心で行っていたことから女の名月ともいう。


実は、立春から数えた210日などに神社に「籠る」風習があった。

 210日、220日、八朔の頃、秋の収穫前に大風が吹かぬよう、風を鎮め、豊作を祈って行われる「風祭り」が行われたり、神社に村人が集まり飲食をしたりして風止めの籠りが行われていた。各家では、風切り鎌という竹竿の先に鎌をつけ、風を切る呪いもあった。富山のおわら風の盆、弥彦神社の風祭り、伊和神社の風鎮祭、松尾大社八朔祭等。八朔は早稲の収穫時や通常の出穂時期と重なるので田の実(頼み)の節供ともいわれる。

 阿蘇神社の旧暦㋆4日に行われる風祭りは風鎮めの祭で神主が御幣を持ち田んぼを歩き、悪い風を風宮の風穴に閉じ込める祭がある。

 伊勢の神宮では5月14日と8月4日に風雨の順調を祈る「風日祈祭」が行われている。

実は、お盆は仏教行事ではなく「先祖祭り・魂祭り」である

 お盆行事は仏教伝来以前よりある。正月の先祖祭りと対になるもの。正月を旧正月や立春頃と見れば半年毎。所謂「節供」の一つである。「盆さま」「盆神」ともいっていた。

 盂蘭盆会という仏教行事と重なり「お盆」というようになった。

 日本書紀37斉明天皇3年(657)7/15「 須彌山(しゅみせん・聖なる山)の像を飛鳥寺の西に作る。また盂蘭盆会を設けたまう。」

 日本書紀37斉明天皇5年(659)7/15に「群臣にみことのりして、京内(みやこ)の諸寺にて盂蘭盆経を勧講(と)かしめて、7世の父母に報いしむ。此の年出雲国造におはせて厳神の宮を修めしむ」

 盂蘭盆会は、釈迦の弟子目連が7/15に百味の飲食を盆にのせて多くの僧たちに施し、餓鬼道におちて苦しむ母を救った故事に由来する。

 盆棚、ナス、きゅうり 迎え火、送り火(霊・ひ)

 盆踊り=祖霊を和め鎮め、豊穣の加護を祈る。灯篭流し=祓い・・七夕流し

 満月のときは、神祭りの期日になることが多い。これは、月の形が一番わかりやすいという理由もある。


実は、夏祭りは「疫病退散」を祈った都市部のお祭りである

 祇園祭りは、疫病鎮めの祭り。昔、疫病は非業の死をとげた怨霊の仕業と考えられた。そこで御霊会という霊鎮めの祭りが行われるようになった。

 貞観11年の疫病は全国に大きな被害をもたらした。それは牛頭天王・インドの祇園精舎の守護神(のちにスサノオ同一神となる)の祟りといわれる。スサノオを祀る神社で夏祭りが多いのはそれが所以である。

 夏祭りの起源ともいえる祇園祭り。一方で村々の稲の順調を祈る=虫送りとも重なる。

実は、七夕は「先祖祭り」であった 

 七夕の季節は、七夕盆・盆はじめ・ナヌカボン・盆道作り・墓掃除という盆行事の一つでもある

 祖先を迎える前に川で禊。盆を清らかな日にしようとした。

 笹流し・虫除け・七夕送り(悪い物を流す)=祓い=疫病退散=祇園祭天王祭=青森のねぶた(現8/1-7)もねぶた(り)流し(ねむけ・農業の妨げを追い払う)、秋田の竿灯も、もとは願い事を書いた短冊を笹竹につるして、町を練り歩き、それを川に流していた。松本の七夕人形は、着物を着せた人形を七夕の日に軒先につるし、厄除を祈った。

 短冊に願いを書く起源は中国。星に裁縫や書道上達を祈る乞巧奠(きっこうでん)という祭り。七夕に、酒、料理、果物、瓜を供え、金銀真鍮の針を用意し、月に向って五色の糸を針に通す。天の川に白や五色の光が見えれば願いが叶い、蜘蛛が瓜の上に巣をはれば裁縫が上達するといわれた。

 さらに古くは、梶の葉(和紙の原料にも)に詩歌などを書いて供える風習もあった

 「天の川 戸渡る舟の梶の葉に 思ふ事をも書きつくるかな」後拾遺集

 江戸時代、寺小屋に通う子供たちが手習いの上達を望んだという。

 昔は、七夕の日に七度水を浴び、七度飯を食うものだと子どもたちがその風習を守ろうとした

 この日に井戸替えといって井戸の掃除をする風習もある。

実は、夏越の大祓のあの大きな茅の輪は「腰にまくもの」だった

 『風土記逸文』 備後風土記に曰く、「疫隅国社(えのくまくのくにのやしろ)、昔北の海に坐しし武塔神、南の海の女子(むすめ)をよばひに出で坐ししに、日暮れたり、彼所(かしこ)に蘇民将来・巨旦将来という二人すみき。兄の蘇民将来はいと貧しく、弟の巨旦将来は、にぎはひて、屋倉一百ありき。ここに武塔神、宿りを借り給ふに、おしみて借しまつらず、兄の蘇民将来は借し奉る。即ち粟柄を以て座とし、粟飯等を以て饗(みあへ)奉る。既に畢へて出で坐しき。後年経て、八柱の子を率いて還り来て、詔りたまはく、我、将来の為に報いせむ。汝が子孫、其の家に在りやと問はし給ひければ、蘇民将来答へ申さく、己女子とこの婦(め)と侍ふと申す。即ち詔り給はく、茅の輪を以て腰の上に著けしめよと詔り給ふ随に、著けしめき。その夜に、蘇民と女人二人とを置きて、ことごとに許呂志保呂保志てき。その時に詔りたまはく、吾は速須佐能雄能神なり。後世に疫気(えやみ)あらば、汝蘇民将来の子孫(うみのこ)と云ひて、茅の輪を以て腰の上に著けよ。詔の随に著けしめば、即ち家なる人は免れなむと詔り給ひき。

 茅の輪を腰にまいたことにより災厄を免れたという故事

 夏越=夏を越し、残り半分を無事過ごせることを願った言葉。または疫病神を和ませ災厄を鎮める意味もある

 茅=根は漢方薬、利尿、止血作用

 「水無月の夏越の祓いする人は千年の命のぶといふなり」

 大祓は1300年前から行われている

 世の中、いろんなウイルスが蔓延っている。「大祓行事」によって救われるかもしれない。

 因みに、この茅が秋にはススキとなり、稲の実りに見立てられる。

実は、端午の節供は、男の子の日ではなく「女性の日」だった。

 田植えを行うために早乙女の女性が忌籠る日。軒先に菖蒲をつるし、邪気を祓い、心身を清め、田の神を迎えて田植えをする前の行事。

 菖蒲は、中国に起源。よもぎを門にかけ、菖蒲酒を飲んで邪気を祓う。

 菖蒲=血行促進、鎮痛作用の薬草、よもぎも薬草

 清少納言の枕草子に「節は五月にしく月はなし 菖蒲蓬などのかをりあひたるいみじうをかし」(節供は5月にまさる月はない。菖蒲や蓬などが香りあって、とても情緒がある)と、宮中も庶民の家も競って菖蒲などを屋根に葺いて、若い女性などは菖蒲を髪飾りや腰に刺し薬玉をぶらさげているなどをしていた。

 「くす玉を右のかたにうちかけて、左のわきへたれて、この緒をわけて腰にゆひて各拝舞する也」(花鳥余情)

 武家社会になると、菖蒲が尚武とからめて、男子の成長と武運長久を祈る日となる。

 鯉のぼりは江戸時代から。鯉は立身出世の象徴。竜門を泳ぎ登った鯉は龍とかす

 鯉のぼりの矢車と籠玉=魔除けと神への加護への願いが込められている

 吹き流し=雲や滝を意味。木火土金水の青赤黄白黒の5色を使用して邪気を祓う

 その他「菖蒲の占」端午の女の子の遊び「思うこと軒のあやめにこと問わん かなわばかけよささがにの糸」と唱えて願をかけ、蜘蛛が菖蒲の上に巣をかけると思いが叶うそうだ。

 また、菖蒲を短く切り、薄い紙で包んで枕として5/5に寝たら、邪気を祓うといわれる。

実は、神様が鎮まる「本殿」という社殿がない神社がある 

 大神神社(奈良) 金鑚神社(埼玉) 石上神宮(奈良) 諏訪大社(長野)等本殿のない神社がある

 広島にも滝を神さまとしてまつっている神社がある。実際には建物は何もない

 逆に本殿が二つある場合もある。山の頂上の奥宮、里にある里宮。

 因みに長野県の生島足島神社は、本殿の建物はあるが床をはらず大地そのものを御神体としている

実は、神社の社殿は「なかった」

 神山、宮山、御嶽、大山、森山

 高い山には必ず神様をまつっている。

 「社」は「サカキ、モリ」と読んでいた

 社は、ヤシロ・屋代。神をまつるとき、神を迎える地として土地を清め、神の宿るべき小屋を設けた。これが定着した建物(社殿)を作り、そこに神をまつるようになったのが神社。

 また、モリとは、神の坐すとこをいい、杜、社、神社という表記を使用していた。

実は、4月8日灌仏会の日は、元々「疫病除け神事(鎮花祭)」の日であった

 お釈迦様の誕生日とされ、草花を飾り、甘茶を仏像に振舞う仏教行事の日と思われているが、

 折口信夫氏は「卯月八日のてんとうばななども、釈迦誕生の法会とは交渉なく、日の物忌に天道を祀るものなるべく、千早ふる卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」

 とあるように花の散る時期は疫神の活動が盛んになる時期と考えられてきた。熱田神宮では旧暦四月八日(現在五月八日)花の撓(とう)という豊年祭、大神神社摂社狭井(さい)神社で四月一八日に行われる疫病を鎮めるための華鎮祭、京都今宮神社で四月第2日曜日に行われる「やすらい」祭りも疫神を鎮める祭りなどが今でも行われている。

 またこの日を祭礼日としていた神社や山開きとする山も多かった。遠足のルーツでもある。柳田國男はこの日を5月田植えの季節の祭りのためにする斎忌の始めと言っている。