実は、お盆は仏教行事ではなく「先祖祭り・魂祭り」である

 お盆行事は仏教伝来以前よりある。正月の先祖祭りと対になるもの。正月を旧正月や立春頃と見れば半年毎。所謂「節供」の一つである。「盆さま」「盆神」ともいっていた。

 盂蘭盆会という仏教行事と重なり「お盆」というようになった。

 日本書紀37斉明天皇3年(657)7/15「 須彌山(しゅみせん・聖なる山)の像を飛鳥寺の西に作る。また盂蘭盆会を設けたまう。」

 日本書紀37斉明天皇5年(659)7/15に「群臣にみことのりして、京内(みやこ)の諸寺にて盂蘭盆経を勧講(と)かしめて、7世の父母に報いしむ。此の年出雲国造におはせて厳神の宮を修めしむ」

 盂蘭盆会は、釈迦の弟子目連が7/15に百味の飲食を盆にのせて多くの僧たちに施し、餓鬼道におちて苦しむ母を救った故事に由来する。

 盆棚、ナス、きゅうり 迎え火、送り火(霊・ひ)

 盆踊り=祖霊を和め鎮め、豊穣の加護を祈る。灯篭流し=祓い・・七夕流し

 満月のときは、神祭りの期日になることが多い。これは、月の形が一番わかりやすいという理由もある。


実は、夏祭りは「疫病退散」を祈った都市部のお祭りである

 祇園祭りは、疫病鎮めの祭り。昔、疫病は非業の死をとげた怨霊の仕業と考えられた。そこで御霊会という霊鎮めの祭りが行われるようになった。

 貞観11年の疫病は全国に大きな被害をもたらした。それは牛頭天王・インドの祇園精舎の守護神(のちにスサノオ同一神となる)の祟りといわれる。スサノオを祀る神社で夏祭りが多いのはそれが所以である。

 夏祭りの起源ともいえる祇園祭り。一方で村々の稲の順調を祈る=虫送りとも重なる。

実は、七夕は「先祖祭り」であった 

 七夕の季節は、七夕盆・盆はじめ・ナヌカボン・盆道作り・墓掃除という盆行事の一つでもある

 祖先を迎える前に川で禊。盆を清らかな日にしようとした。

 笹流し・虫除け・七夕送り(悪い物を流す)=祓い=疫病退散=祇園祭天王祭=青森のねぶた(現8/1-7)もねぶた(り)流し(ねむけ・農業の妨げを追い払う)、秋田の竿灯も、もとは願い事を書いた短冊を笹竹につるして、町を練り歩き、それを川に流していた。松本の七夕人形は、着物を着せた人形を七夕の日に軒先につるし、厄除を祈った。

 短冊に願いを書く起源は中国。星に裁縫や書道上達を祈る乞巧奠(きっこうでん)という祭り。七夕に、酒、料理、果物、瓜を供え、金銀真鍮の針を用意し、月に向って五色の糸を針に通す。天の川に白や五色の光が見えれば願いが叶い、蜘蛛が瓜の上に巣をはれば裁縫が上達するといわれた。

 さらに古くは、梶の葉(和紙の原料にも)に詩歌などを書いて供える風習もあった

 「天の川 戸渡る舟の梶の葉に 思ふ事をも書きつくるかな」後拾遺集

 江戸時代、寺小屋に通う子供たちが手習いの上達を望んだという。

 昔は、七夕の日に七度水を浴び、七度飯を食うものだと子どもたちがその風習を守ろうとした

 この日に井戸替えといって井戸の掃除をする風習もある。

実は、夏越の大祓のあの大きな茅の輪は「腰にまくもの」だった

 『風土記逸文』 備後風土記に曰く、「疫隅国社(えのくまくのくにのやしろ)、昔北の海に坐しし武塔神、南の海の女子(むすめ)をよばひに出で坐ししに、日暮れたり、彼所(かしこ)に蘇民将来・巨旦将来という二人すみき。兄の蘇民将来はいと貧しく、弟の巨旦将来は、にぎはひて、屋倉一百ありき。ここに武塔神、宿りを借り給ふに、おしみて借しまつらず、兄の蘇民将来は借し奉る。即ち粟柄を以て座とし、粟飯等を以て饗(みあへ)奉る。既に畢へて出で坐しき。後年経て、八柱の子を率いて還り来て、詔りたまはく、我、将来の為に報いせむ。汝が子孫、其の家に在りやと問はし給ひければ、蘇民将来答へ申さく、己女子とこの婦(め)と侍ふと申す。即ち詔り給はく、茅の輪を以て腰の上に著けしめよと詔り給ふ随に、著けしめき。その夜に、蘇民と女人二人とを置きて、ことごとに許呂志保呂保志てき。その時に詔りたまはく、吾は速須佐能雄能神なり。後世に疫気(えやみ)あらば、汝蘇民将来の子孫(うみのこ)と云ひて、茅の輪を以て腰の上に著けよ。詔の随に著けしめば、即ち家なる人は免れなむと詔り給ひき。

 茅の輪を腰にまいたことにより災厄を免れたという故事

 夏越=夏を越し、残り半分を無事過ごせることを願った言葉。または疫病神を和ませ災厄を鎮める意味もある

 茅=根は漢方薬、利尿、止血作用

 「水無月の夏越の祓いする人は千年の命のぶといふなり」

 大祓は1300年前から行われている

 世の中、いろんなウイルスが蔓延っている。「大祓行事」によって救われるかもしれない。

 因みに、この茅が秋にはススキとなり、稲の実りに見立てられる。

実は、端午の節供は、男の子の日ではなく「女性の日」だった。

 田植えを行うために早乙女の女性が忌籠る日。軒先に菖蒲をつるし、邪気を祓い、心身を清め、田の神を迎えて田植えをする前の行事。

 菖蒲は、中国に起源。よもぎを門にかけ、菖蒲酒を飲んで邪気を祓う。

 菖蒲=血行促進、鎮痛作用の薬草、よもぎも薬草

 清少納言の枕草子に「節は五月にしく月はなし 菖蒲蓬などのかをりあひたるいみじうをかし」(節供は5月にまさる月はない。菖蒲や蓬などが香りあって、とても情緒がある)と、宮中も庶民の家も競って菖蒲などを屋根に葺いて、若い女性などは菖蒲を髪飾りや腰に刺し薬玉をぶらさげているなどをしていた。

 「くす玉を右のかたにうちかけて、左のわきへたれて、この緒をわけて腰にゆひて各拝舞する也」(花鳥余情)

 武家社会になると、菖蒲が尚武とからめて、男子の成長と武運長久を祈る日となる。

 鯉のぼりは江戸時代から。鯉は立身出世の象徴。竜門を泳ぎ登った鯉は龍とかす

 鯉のぼりの矢車と籠玉=魔除けと神への加護への願いが込められている

 吹き流し=雲や滝を意味。木火土金水の青赤黄白黒の5色を使用して邪気を祓う

 その他「菖蒲の占」端午の女の子の遊び「思うこと軒のあやめにこと問わん かなわばかけよささがにの糸」と唱えて願をかけ、蜘蛛が菖蒲の上に巣をかけると思いが叶うそうだ。

 また、菖蒲を短く切り、薄い紙で包んで枕として5/5に寝たら、邪気を祓うといわれる。

実は、神様が鎮まる「本殿」という社殿がない神社がある 

 大神神社(奈良) 金鑚神社(埼玉) 石上神宮(奈良) 諏訪大社(長野)等本殿のない神社がある

 広島にも滝を神さまとしてまつっている神社がある。実際には建物は何もない

 逆に本殿が二つある場合もある。山の頂上の奥宮、里にある里宮。

 因みに長野県の生島足島神社は、本殿の建物はあるが床をはらず大地そのものを御神体としている

実は、神社の社殿は「なかった」

 神山、宮山、御嶽、大山、森山

 高い山には必ず神様をまつっている。

 「社」は「サカキ、モリ」と読んでいた

 社は、ヤシロ・屋代。神をまつるとき、神を迎える地として土地を清め、神の宿るべき小屋を設けた。これが定着した建物(社殿)を作り、そこに神をまつるようになったのが神社。

 また、モリとは、神の坐すとこをいい、杜、社、神社という表記を使用していた。

実は、4月8日灌仏会の日は、元々「疫病除け神事(鎮花祭)」の日であった

 お釈迦様の誕生日とされ、草花を飾り、甘茶を仏像に振舞う仏教行事の日と思われているが、

 折口信夫氏は「卯月八日のてんとうばななども、釈迦誕生の法会とは交渉なく、日の物忌に天道を祀るものなるべく、千早ふる卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗ぞする」

 とあるように花の散る時期は疫神の活動が盛んになる時期と考えられてきた。熱田神宮では旧暦四月八日(現在五月八日)花の撓(とう)という豊年祭、大神神社摂社狭井(さい)神社で四月一八日に行われる疫病を鎮めるための華鎮祭、京都今宮神社で四月第2日曜日に行われる「やすらい」祭りも疫神を鎮める祭りなどが今でも行われている。

 またこの日を祭礼日としていた神社や山開きとする山も多かった。遠足のルーツでもある。柳田國男はこの日を5月田植えの季節の祭りのためにする斎忌の始めと言っている。


実は、お花見は「稲の豊作を祈る」ものである

 桜の前にお供えをし、宴を開く。咲くは、吉を表す咲う(わらう=笑う)に通ず。 コノハナサクヤビメと初代降臨の神、日子番子邇邇芸命(稲穂がにぎにぎしく実る太陽の子)の出会い。

 芽出る→愛出る→めでたい

 江戸時代徳川吉宗、隅田川の土手に桜を植樹したことにより庶民に広がったとのこと

桜の語源はサ(稲の霊)のクラ(神座)を現す。花の咲き具合で稲の豊凶を占う。

 因みに、現在よく見るソメイヨシノは江戸末期、明治初期から広まっていった。

 大阪 大鳥神社の花摘祭り、神輿が花摘女と稚児によってひかれ、花車を従え渡御

 宮城 塩竈神社の花祭り 五穀豊穣を祈る祭り、

 和歌山 丹生都比売神社 花盛祭り 神饌に桜の花をそえ、烏帽子や冠に桜の花をさし、参列者の胸に桜の枝をつける


実は、雑節の一つの社日は「土」と関係する。

  社日は春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日をいう。

 中国では陰陽五行の土の意味をもつ戊の日に豊作祈願が行われていたらしい。

 関東や中国四国地方では地神講が盛ん。(地神は広島では福山地方に多い)この日に人々が集まって飲食を共にする。社日には、土を掘ること田畑を耕すことは神様の頭を掘ることになるとして土いじりは厳禁。

 信州では社日様といえば田の神をいい、この日に田の神を迎え、秋の社日に神送りをする。

 社日が早く来るか遅く来るかでその年の豊凶を占ったり、「社日詣で」としてこの日に七社詣でをする地域もある。

 このように農事を始める大切な節目の一つでもあった。

実は、彼岸は「神道」に由来する

 春分、秋分の日を中日とし、前後3日間、計7日間。「彼岸」は春の季語。彼岸は、生死の境を渡った向こう岸(仏の国)をさすが、そのためには迷いの現世から悟りの世界に行くことが出来るよう、修行する行事でもある。

 この風習が中国・インドになく日本にあるのは、春分の日は季節の変わり目、農事の目安。その際に先祖をまつり、豊穣を願う時期でもある。

 牡丹餅=小豆で赤色にすることで邪気を祓う力となる=秋はおはぎ

 彼岸に日天様のおともなどいって一日中外にでて日を拝んであるく風習があった。こうすると身体が丈夫になるとのこと

実は、ひな祭りは「人形を流す祓え」の行事でもあった

 上巳の節供「三月最初の巳の日」、上巳の祓ともいう。

 人形にけがれを移し、悪いものは水に流す信仰=神道の大祓そのもの

 祓戸の神 セオリツヒメ(川に流し、海にそそぐ)ハヤアキツヒメ(うずしおからのみこむ)イブキドヌシ(根国底国に息吹はなつ)ハヤサスラヒメ(持って去ってきえていく)

 奈良時代、宮中では曲水の宴(流水に浮かべた盃が通過するまでに歌をよむ)が行われていた。現在でも京都の城南宮、福岡の太宰府天満宮で行われている。

 流す人形が、飾る人形へ変化したのは江戸時代といわれる。それゆえいつまでも飾っておくことが忌まわれた

 お内裏さまとは天皇皇后を言う。皇室のように、いく久しく健やかであるようにとの願いが込められている

 男雛、女雛は京都は向って右が男、関東では向って左が男。ひな人形協会では「昭和天皇の即位時の御写真がそれまでと逆になったので以後逆にした、しかし、京びなは関東で飾っても従来通りである。西欧と日本の左右上位の考え方が正反対なので、文明開化以降混同されたのだろう」との事。

 桃の花は伸び往く生命の象徴

 菱餅=赤(桃)・白・青(よもぎ・昔は母子草)の餅、いずれも邪気を祓う。◇形は龍に菱の実を投げて退治した仏典の説話によるらしい。

 白酒=桃花酒ともいう。邪気を祓う。桃の花弁をふかべるところもあり。

 ちらし寿司=めでたいの象徴

 はまぐりの吸い物=はまぐりは別の貝とはかみあわない=蛤はきれいな海にいるので女性の貞操の象徴。貝あわせで夫婦和合の願いが込められている。

 この日は磯遊びといって終日外で飲み食いをする風習があった。旧暦だと大潮にあたり潮干狩りや花見の季節

 雛あられは、炒ったときの状態で吉凶を占っていたといわれる。

 因みに河内では月遅れで行われている