最近見なくなった「亥の子」、復活できるといいのになあ・・だって・・

実は、亥の子は遊びではなく「神事」である

 旧暦の10月の亥の日の晩(亥の刻・午後9時~11時)に、亥の子と称して新藁を束ねて太くまきつけたものを子供たちが地面に打ち付ける行事で亥の子節供とも言われていた。この日は新米で亥の子餅や団子をつくり、田の神の供えたり、家族で食べたり、近所の子供たちにあげていた。

 瀬戸内海地方では、藁ではなく円い石に多くの環をつけたものを亥の子石といって地固めを行っていた。

 地面をたたくのは土地の邪霊を鎮め、土地の精霊(土地の力)を強くするため(帰り支度の田の神に次の年の豊作も祈る?)である。関東では十日夜と名付け同じく藁を束ねた藁鉄砲で地面をたたく

 広島安芸郡の亥の子歌「亥の子亥の子亥の子餅ついて 祝わんものは鬼産め蛇産め角のはえた子産め、やっさの尻を煮え湯で焚いて また湯で焚いて これのこれの○○さんに嫁(婿)とって繁盛せえ繁盛せえ」(現在ではちょっと使えない言葉がありますね)

 因みに、亥の子の日は「茶人の正月」といって、茶家では風炉から炉に切り替える「炉開き」と初夏に摘んで寝かせていた新茶の「口切り」が行われる。一般家庭でもこの日に囲炉裏や炬燵を開いていた。猪は火を防ぐ動物と考えられていたらしく、この日に火をいれると火災にあわないらしい。

杉森神社ホームページ(東広島市河内町中河内鎮座)

東京生活をやめ、平成23年4月から当社の宮司として奉仕し始めました。 「神社が元気になれば、地域もさらに元気になる」を目指しています。

0コメント

  • 1000 / 1000